5日目

7時過ぎ起床。快晴。体調良し。7時半にホテル一階でビュッフェ形式の朝食をいただく。ヒルトンストランドホテルは建物中心部が吹き抜けで、その一階部分が食堂になっている。エレベーターや各階の廊下はガラス張りで、建物中心部の吹き抜けを見通せる構造になっており、食堂で美味しく食事をする姿や、ナイフ・フォークを操る様子をみんなで眺めることができる(にくい演出である!)。いつにも増して朝食が楽しみな元気な妻に連れられて、ガラス張りのエレベーターを降りる。
 
今日の朝食はややセーブするつもりで臨むも、メインのお料理や各種パンを食べ終えてから、さらにデザート代わりのヨーグルトに、ドライフルーツやコーンフレークを加えていったり、美味しそうな各種ドリンクに一通り手を伸ばすうちに、結局腹十分目に。一番美味しかったのは甘いスイカ(海外でもスイカは栽培されているのだろうか)。妻はいろんなパンを楽しんでご満悦のご様子。「トロピカルジュースが美味しかった」とのこと。何を食べても美味しい、幸せなことである。
 
8時45分にホテル出発。港で9時半までにチェックイン予定で動く必要がある。タリンク・シリヤ・ラインの港は、大まかな場所はわかるけれど、詳細地図がよくわからない。時間的にはギリギリだろう。路面電車を使うか、タクシーを使うか、歩くか、少しだけ迷ったけれど、答えは歩き。歩きと走りを半々で、軽快なペースで中心街を横切る。この旅行中の食生活事情からすると自分の走力にはあまり期待できなかったが、割と軽快な走り。妻も、マラソン経験が活かされる展開に(わざわざ走らなくとも路面電車に乗れば良いのかもしれないが、早く行っても待つだけならば、足でいけるところへは足で行きたい。妻には少し申し訳ない)。
 
中心街は、土曜日だからか昨日よりも人が少なく、とても気持ちが良い。4キロくらいの道のりを無事に駆け抜けて、タリンク・シリヤ・ラインの西ターミナルに到着。9時半、汗をかきながらも無事にチェックイン。エストニアへの出国審査を経て待合室へ移動し、10時前、無事に乗船完了。9階建ての大きな船だ。TALLINKという会社らしい。
 
ホテルにはフリーWi-Fiがない(有料のみ。未契約)ためメールチェックはできていなかったが、船内には乗客用のWi-Fiがあるため、移動時間にフェイスブックやメールをチェック。おかげさまで会社は我々不在の怒涛の平日を乗り切っているようだ。弟によるお客様とのやりとりのメールや、新入社員の方の社内メールを拝見する。しっかりしてきている。妻は「帰国後に会社でお客様からの電話を受けたら『きよとさん(弟)いますか?』ばっかりになるのでは?」と笑う。そうなってくれることが望ましい。この旅行に来てよかった。任せてきてよかった。
 
船内のテーブルで休憩後、デッキや船内を見学。この船には、客室や飲食店だけでなく、服屋やスーパーマーケットまである。スーパーマーケットはかなり充実した店舗で、チョコレートもおもちゃも服も釣竿も酒も食料も豊富に揃っていて、眺めるだけでもとても面白い。日本のお酒は山崎のウィスキーが売っている。「TOKYO superdry 自動車潤滑」と書かれたTシャツをきたファンキーなお兄さんを発見して、その心意気に嬉しくなる(初日のヘルシンキ空港でも「極度乾燥(しなさい) superdry」と笑えてくる日本語が書かれたTシャツが売っていて嬉しくなった。但し、欲しくはない。)。Tシャツコーナーには『TWO BEER OR NOT TWO BEER、SHAKESBEER』と書かれたTシャツを売っていて、これは、とても欲しい。帰りのフェリーで買おうと心に誓う。チョコレートコーナーでは、妻が好きなBROOKSIDEのチョコレートを発見(しかし買わない)。ブーメランコーナーには、キャッチフレーズが“IT REALLY DOES COME BACK”の素敵なブーメランが売っていて欲しくなり、購入を妻に打診するもほぼ即決であえなく却下。結局、ナッツやドライフルーツの入った袋をひとつ購入して船外デッキの椅子に座ってこれを楽しむ。船外デッキは風が強くて楽しい。また、はるか後方にヘルシンキの陸地が見えて面白い。ナッツを食べていると飲み物が欲しくなり、再びスーパーマーケットでビールを購入。船内でくつろいでいると、対岸のエストニアの地が迫ってくる。
 
12時過ぎ、エストニア到着。ヘルシンキの涼しさとは打って変わって、ここは日本と同じくらい暑い。我々を待ってくれている女性ガイドさんと合流。バリバリの早口英語だ。やや緊張する。
 
ガイドさんとタクシーに乗り、この国で一番大きな公園と説明された公園へ(早口英語なので、公園についての説明は1割くらいしかわからない。誰が何のためにいつ作ったのかなどはさっぱりわからない)。芝でピクニックを楽しむ人々や、林で散策を楽しむ人々や、広場でどんちゃん騒ぎを楽しむ人々を眺めながら、ロシアの偉い人(?)の別荘地(?)や、エストニア大統領(?)のオフィス(?)を見学。この時点では質問もろくにできず、一方的に説明を聞いているだけ。気の利いた相槌も打てない自分が悔しい。手際よく、次の場所へ移動。
 
旧市街の教会へタクシーで移動。再びガイドさんと三人で歩く。このままスピード英語にぶちのめされて黙って聞いているわけにはいかない。ミヤジマ、ついに起つ。写真撮影はほどほどに、レベル2くらいのリスニング力とスピーキング力に神経を集中させて、ガイドさんとの対話に挑戦する。ガイドさんの説明でわからない部分はわからないと伝え、発音が難しい言葉は何度か声に出して「almost OK」と評してもらい、自分の理解度を相手に示しながら、どんどん質問する。言葉はほぼ単語のみで、身振り手振りによる情報伝達が8割。塔の外観を指して「あのドアはどうやって開けるのか・ジャンプするのか・スノーandスノーandスノーで扉の高さになるのか」(笑いながら「ノー」との答え)とか、教会上部の屋根を指して「ベルは使われているのか?ベル、リンゴーン?」(イエース!なんたらかんたら)とか、建物の道路に面した窓の外にフックがついているのを指して「どうやってあのフックを使うのか」(何度か聞いたが結局よくわからなかった。すごく頑張って説明してくれた。地面から荷物を引き上げる、と理解した。)とか、サウナはこの国にもあるのかとか、ハリーポッターの世界のようだ、とか、この壁に突っ込んだら魔法界にいけるかもしれない、とか、大きな塔の大きなの窓もハリーポッターなら簡単に設置できるだろうとか、バタービールが美味しいだとか、メニーメニーストーンandストーン・whereフロム、とか、ショッピング・ショッピング・ショッピング・ピープルリビングヒアー?とか。単語と擬音と体の動きを頼りにすれば、意思疎通がとれてくる。相手の説明も少しずつレベルを下げてきてくれていることもあり、2割〜3割くらいわかるようになる。説明を受けたら、理解できた内容を簡単な言葉で言い返す(例:OK、ベリーインポータントパーソン。例:OK、グッドクラフトマンヒアー)。日本で僕が銭湯で水風呂と熱い風呂を使って毎日温冷浴をしていることを伝えて、サウナと湖を往復するフィンランド人について話すと、冬に氷の張った湖に飛び込む人もいるという。「アイスをクラッシュしてドボーンするのか!」と、ボディーランゲージも使って伝える。三人で爆笑しながら歩く。もし大勢に対してのガイドさんだったら、ほとんど何もわからずに終わっていたと思うと、我々2人だけで本当に助かった。三百年前から続くカフェや、職人たちのギルドなど、歴史を感じる街並みにワクワクする。世界遺産になるだけのことはある。
 
15時、ガイドさんにレストランに案内されて別れる(ここで完全にお別れとは知らず。知っていれば、もっと丁寧にお礼を述べたかった)。レストランでは、美味しいパンや鳥料理をいただく。ビールもいただき、かなり酔っ払う。店内で一時間半くらいのんびりする。お腹いっぱいで眠たくなる。
 
店を出てしばらく歩く。街並みの煙突にスーパーマリオのスターが描かれており、あれはなんだ、と指差して楽しむ。それにしてもあまりに眠たいので、みんなが日光浴しながらベンチで寝ている広場で、それに混じる。不用心かもしれないが、一時間くらい昼寝・爆睡した。18時過ぎ、起きて行動開始。お土産屋さんを何軒か眺めるも、昼寝で消化がすすんだのか、自分のトイレ大の事情が切迫し始めてホテル方面へ退却。波が収まったりするタイミングもあるので、何軒かお土産屋さんを眺めながら退却。戦利品なし。ホテル併設のショッピングセンターの綺麗なトイレ(利用料20セント)で事無きを得る。昼過ぎにタクシーを降りる際に言っていた通り、ソコスホテルのロビーに向かっていたところを同じ運転手さんに見つけてもらい、港へのタクシーに乗せてもらう。
 
19時半、港へ到着。タクシーではあまり喋らずに、お礼だけ伝えて別れる。港では、子供向けの乗り物に飾られているピカチューの出来損ないのようなキャラクターを発見して笑う。20時半発のヘルシンキ行きフェリーへ乗る。
 
フェリーが出港する。窓からタリン旧市街や教会の屋根たちが見える。エストニア・タリン、良いところだったなあ〜。妻はジャンクフードに強くなってしまったのか、船内販売で思わず買ってしまったハンバーガーやポテトをわけわけして食べ終えてからも「まだ食べたいな〜」とお喜びだ。昼寝のおかげか元気なのかもしれない。
 
船内で、喜ぶ妻を観察する。明日1日はヘルシンキで完全自由行動、その翌日午後にヘルシンキを発って帰国予定なので「明日は早起きしよう!」と、嬉しそうな妻。結婚前も結婚後も、妻には計り知れぬ苦労がかかり続けてきた。本当によく支えてもらってきた。一生をかけてご恩返しするのが当然だし、この旅で少しでもそれが果たせるならば、これほど嬉しいことはない。そんな思いは日記で伝えるとして、船内の机を挟んで妻との会話を楽しむ。
 
妻が、タリン旧市街の観光案内所でもらった日本語マップを見て爆笑している。翻訳がイマイチで、確かに面白い。「後半部分のほうがチェックが甘いだろう」という仮説のもと、さらにじっくりと読んでみる。すると、違和感のある言い回し(例「それはここで1988年に起こった、反ソビエトへの熱い想いを込めた“歌の革命”をきっかけにエストニアは独立への路を歩み始めました。」や、「(〜前略)垣間見る宝庫と言っても良いでしょう」)、あるいは、変に煽ってくる言い回し(例「たとえあなたがバッハに関心が無かったとしても、次々と好奇心が湧き出てくること間違いありません」(原文ママ)、「それはそれは好奇心をそそることでしょう」)、あるいは、拙い誤字(例「お楽しみいただけまvす」、「世界遺産に指定されまた。」)がたくさん含まれていて、大変読みごたえがあるガイドマップである。漢字もテキトーで、中国簡体字がふんだんに散りばめられていて違和感をひきたてる。この日記の口調もつられておかしくなりそうだ。あなたが手にした関心を高めるこのマップをお見逃しなbく。それはそれは好奇心をくすぐられること間違いないでしょう。
 
ガイドマップを眺めながら「世界にはこういう面白いのがいっぱいあるんだろうなあ〜^_^」という嬉しそうな声がきこえる。広い視野に尊敬の念を覚える。下船までの時間は限られているので、スーパーマーケットへ足を運んで、気の利いたTシャツ(朝に欲しがっていたSHAKESBEERのTO BEER OR NOT TO BEER)と男心をくすぐるキーホルダー(液体の上に船が浮かぶやつ)を買う。妻にはやや呆れられる。
 
22時半、ヘルシンキ到着。タリンとは全然気温が違い、やや冷え込む。それにしても、まだ全然明るい。業者の方というわけでもないだろうに、ものすごい量のビールを買い込んだ多くの人達とともに、港をあとにする。
 
港から、一時間かけてホテルまで4.5キロ歩く。既に23時ごろ。日本でも夜道はトラブルが起こりやすいと思うが、増してやここは海外。本来ならタクシーで帰るべきだとわかりながら、歩いて帰る。なるべく安全そうな道を選択。少しくらいの遠回りは辞さない。早足で戻る(フィンランド以外の国ならこの選択はなかっただろう)。
 
ともあれ、12時前に無事に生還。シャワーを浴びて、下着や靴下を洗濯する(これで明日朝にはフレッシュだ)。ジャグジーのお湯の抜き方がわからずに悩む(なんと蓋のスキマに爪を入れて引き抜くだけだった。爪を常に短くしている自分には真似できぬ。妻に感謝)も、良い一日であった。